2002年6月28日
H 北叟笑む(ほくそえむ)
 「ほくそ笑む」という言葉があります。岩波国語辞典では「物事がうまくいったと、ひそかに笑う」と書かれています。イメージとしては、あまり きれいな感じがしません。

 少し前にテレビで見たのですが、この「北叟(ほくそ)」とは「北のおじいさん」という意味で、この語源は「人間万事塞翁が馬」のことわざ話から来ているようです。

 「塞翁が馬」の話は、(私の覚えている限りの話で)
ある時、塞というおじいさんが飼っていた馬が逃げていなくなってしまいました。それは大変だと、周りの人がおじいさんを励ますと、塞おじいさんは「こんなこともあるさ」とそんなに泣き叫びもしませんでした。

 しばらくして、その逃げて行った馬が、彼女の馬を連れて戻ってきました。塞じいさんの馬が1頭増えたのです。そうすれば、また周りの人が「得したな」と騒ぎました。こんなときも塞じいさんは「こんなこともあるさ」と平然としていました。

 馬が増えてからまたしばらくして、今度は、塞じいさんの息子がこの馬に乗っていて落馬して足の骨を折ってしまいました。するとまた、周りのひとが「可哀相に」と慰めますが、塞じいさんは相変わらず「こんなこともあるさ」と平然としていました。

 そんな時に、国の徴兵があったんですが、息子は足を折っていたので兵役にいかなくてすみました。このときもやはり「こんなこともあるさ」という塞おじいさんでした。
 等々。

 つまり、”人生の幸不幸は予想がつかない”という意味で使われることわざです。
人生には禍福が背中合わせになって訪れ、何が幸で何が不幸か解らないから、それに一喜一憂しないで泰然としている様を表しているのでしょう。そして、一人の時に(風呂でも入っている時にでも)良いことがあったときに”ちょっと微笑んだ”という感じが”北叟笑む”ということなのかなと思います。

 実際、人生ってやつはきまぐれで、良いことばかりは続かないし、また、悪いことばかりでもないと思うのです。苦しい時にこの”北叟笑む”のこころを持って頑張らなくてはならないと思います。

 古い話ですが、60年安保の時亡くなった樺美智子さんの「最後に 人知れずほほ笑まん」という詩もこの気持ちにつながるものなのでしょうか?
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お多福屋
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